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釈迦尊の教えから考えると、何か自分と一体になるものを得た方がよいのです。そういうものは自分と一緒ですからなくなりま せん。では自分か ら離れないものは一体何かというと、自分の人格だ けしかないのです。まずはそのような意味から、人格の完成を目指して努力することは、生 きる目的となるべ きものだと言うことができると思います。我々は何をするにしても、そのすることによって自分の人格がいい方向へ変わるか変わらないかを確かめながら生きる ならば、一生力強く、しっかりと生きていられるだろうと思います。古い言葉に言い換えれば、徳を積みなさいということです。私に何か「得」がありますかと 考えるケチな話とは違います。いつも、自分の短所を減らし、長所が増えるように努力することです。また人間は気のままに行動するので、他人に害を与えたり 迷惑をかけたりします。つい怒りに捕われてしまいます。嘘をついたり嫉妬したり、また自分の失敗や悩み事を酒や麻薬に逃げたりします。このようなものから 離れる努力を仏教ではといいますが、そのようにいい人 格を 作るために努力することは生きる目的として素晴らしいものです。しかしそれも、 むやみにやるのではなく知性的にやらないといい結果にはなりません。

巻頭法話(17)「人生の目的 PART-1」1996年7月

違います。功徳には二種類あります。ひとりで行うことができる「戒を守ること」「冥想実践すること」などがひとつです。も うひとつは、相手があることによって成り立つ布施をすること、看病することなどです。ひとりで行うことによって成り立つ功徳の場合は、自分のこころの徳に よって功徳が大きくなったり小さくなったりします。相手がいて成り立つ功徳の場合は、功徳の価値が高くなる方程式があります。布施を例にして、高くなって いく順に書くと、・こころ汚れた人がこころ汚れた人に布施をする(自分も悪いことをする人間で、悪いことをする人間に何かしてあげることです)。この場合 も、必ず功徳を積めます。・こころ汚れた人がこころ汚れていない人に布施をする。この場合、功徳は、もらう側の持つ徳が大きければ大きいほど大きいものに なります。・こころ清らかな人がこころが汚れた人に布施をする。この場合は徳の高い人が相手の悪事を気にしないで慈しみのこころで布施をするのですか ら、・より功徳の功が大きいのです。・こころ清らかな人が、こころ清らかな人へお布施する。この場合、功徳の功がいちばん大きいのです。

この方程式から解ることがひとつあります。我々には他人のこころを知ることも難しいし、管理することもできないのです。相手のこころが清らかだろうと自分 で推測することしかできないのです。自分で自分の心が汚れているかいないかは知ることもできるし、汚れたこころをきれいにすることもできるのです。ですか ら功徳を確かなものにしたければ、管理できる自分のこころをきれいにすることになります。相手の徳によっても、自分のこころがきれいにはなりますが、この 場合はあまりにも受動的で、自分の意志の力が弱いのです。功徳を大きくする決まり手は、意志の強さです。意志は自分で管理できるものです。

疑問・質問に答えて 46

この世で最高の善行為は心を清らかにすることです。功徳の中でもいちばん徳が高いのは、を することなのです。だから冥想会の後は、必ず回向の文を唱えて回向します。

パーリ語仏教用語集 『ANUMODANA(アヌモーダナ):回向』

〔心 が〕奮い立 ち、気づき(念)あり、清浄の行為(業)あり、〔物事を〕真剣に為 し、また、〔常に〕自制し、法(教え)によって生き、〔気づきを〕怠らない者の福徳は増え行く。

ダンマパダ 24

①戒(si^la)②慈悲の冥想やヴィパッサナー冥想