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今夜の番組チェック

存在

存在を大きく生命と非生命(物質)に分けると、我々生命存在のエネルギーはから生じます。たとえば呼吸にしても、もっと空気がほしく て息を吸う。しばらく吸うと、空気を出したくなって息を吐く。「これで完璧に満足だ」という状態はありません。物質的な存在はすべて常に不安定でどんどん 変化していきます。常に変化しながらずっと流れて行く。止まることはありません。我々生命もだからずっと変化して流れていきます。それにはきりがな い。「これで終わった」ということはありません。宇宙のすべては不完全であること、生命はただのの流れであること、だから常に変化し ていること。ゆえ に結局空しい存在であること。それらすべてをまとめて dukkha(ドゥッカ)と言っているのです。

パーリ語仏教用語集 『苦: DUKKHA』

かみそりを首に当て、今まで自分の生き方を回想しました。大変まじめに修行しながら、自分が清らかな人生を送ってきたことを、思い浮かべました。その瞬 間、自分の人生は無駄ではなかったと気付いた彼は、大きな喜びと充実感を感じたのです。今までの心の暗闇が消えました。心が落ち着き精神が統一されてゆき ました。しかし、どれほど喜び、充実感を感じていても、「今」は死ぬ瞬間なのです。人の命は、すぐ消えるものです。すべてのものは、命と同じく、瞬間瞬間 消えていくものです。執着してとらわれるようなものは、何一つ存在しない。彼はこの真理に気付きました。

巻頭法話(42) 「落ち込むのは、人間の本性」1998年8月

それを解決するには、名前を変えた方がいいかもしれません。赤ちゃんには一つの名前、1 歳になればまた違う名前。人は刻々と違いますからね。5歳になれ ば、赤ちゃんの時とはまったく違う存在ですから、違う名前をつけた方がいい。そうすると、誰が誰だかわからなくなっちゃいますね。すると、『魂』なんて変 な考え方はなくなるのではないでしょうか。でも、普通の世界では、それは無理なことですからね。

仏教講義、無常について-(4)無常が幸福 に転換する(No81)

仏教は、すべてのものは、無常で一時的で瞬間しか存在しないもので、その瞬間の存在さえ もあらゆる因縁によって組み立てられた現象にすぎないと説いてい ます。この話を正しく理解するならば、『すべてのもの』と言えば『私』も含まれているということなのですが、その事実を皆、見事に忘れるのです。生命はど のように現われたか、輪廻はあるのかないのか、生命は有限か無限か等々、皆、気楽に考えますが、無限大まで考えても納得のいく答えにはたどり着かないので す。ただの時間の浪費です。いくら考えても、自分自身の悩み苦しみ不満はそのままです。ですから、このような無駄なことを考えることなく『自分』と言って もそれはのみであるという事実に気づくこと、それこそ正し い行うべき、有意義な探求なのです。その事実に気づいた人のみ、苦しみを脱出するの です。

巻頭法話(89) 病人は他人に薬を飲ませる 2002年7月


「諸々の形成作用〔によって作 られたもの〕は、全てが無常である(諸行無常)」と、知慧によって見るとき、しかして、〔人は〕諸々の苦しみを厭い離れる――これは、清浄への道である。

ダンマパダ 277

①不満②一時的な現象