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悟り
日常、実際に必要とする行動に使う時間はほんの僅かです。他はすべて自分が管理できない「こころの隙間」です。自分のこころがどんな状態にあったのかも分
からぬのに、その自覚なき間にストレスや苦しみ、悩みの萌芽(ほうが)があるのです。ですから日常の @
さえあれば、人間には精神的な苦しみも悩みもなくなってしまうのです。我々の生の大部分を費やしているであろうこの膨大な「こころの隙間」という時間のた
とえ一部でも @
の実践に充てるべきなのです。@
をしながら仕事や人と会話することが出来ないという人はまだ @
そのもののに慣れていないのです。この実践方法を上手にできるようになると仕事にしろ何にしろ、以前の自分に比べはるかに効率よく、失敗も少なく行動でき
るはずです。しかも膨大な時間の無駄が徐々になくなっていくことによって時間の余裕ができ生きることにも充足感が生まれてきます。自分のこころを常に見て
いますから、自己という存在がよく分かり、自分が分かるということは他人からも理解されるということですから、人間関係の葛藤や、愛着心、憎しみ、恨み、
嫉妬の構造などはっきり見えてくるのです。
悟った人の場合は、いわゆる希望は何もない。やり残したという感じはまったくない。Aはない。だから不思議な気持ちで死を迎えるんですね。普通の人たち
が死ぬときは、子供たちはどうなるのかとか、自分のつくった会社はどうするのかとか、いろいろ心残りがあるんですね。或いは自分自身のことにしても、死ん
でしまったらどこへ行くのだろうかとか、心にさまざまな煩悩が残ってしまうんですね。するとそのエネルギーは回転していきます。悟った人にはそういうもの
は何もない。自分のからだについても、壊れるもので、もう捨てるのだと。心についても、勝手に変化していって止まるのだろうと。望むことは何もないという
瞬間なのです。それを理解することは、自分が体験しなければわからないことなので、お釈迦様は解脱を得て、人生を全うしたのだという風に理解しておいてく
ださい。輪廻転生を経て、生命がたどり着くべき境地に至ったという意味で理解しておいていただければよいと思います。
悟りというのは、悟った人にしかわからないものですが、「この方は完全に落ち着い
ているのだ」ということだけは誰にでもよく理解できます。あわただしい世
の中で、常にあらゆる問題の網に引っかかる生活のなかで、よくもそんなに落ち着い
ていられるものだと不思議に思うほど落ち着いていま
す。聖者はどういう心
をもって生きておられるのでしょうか。
巻頭法話(33)
聖者(阿羅漢)の心(4)1997年11月
一切に勝利する
者、一切を知る者、思慮深き者、一切の諸法(もの・こと)に汚されない者、一切を捨てた者、渇愛の滅尽〔という境地〕において解脱した者――まさしく、彼
をも、慧者たちは「牟尼」と知る。
スッタニパー
タ 211
@SatiA渇愛