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確かに仏教は、論理的かつ合理的に語らう世界です。思想家、哲学者、論理好きな人にとっては、どこまでも考察し追究できる内容に溢れています。それゆえに 仏教を研究する人々が、あらゆる角度で仏教思想を考察し、そこから発展させて新しい思想体系まで作り上げたのです。「いったい仏教とは何なのか」と皆目わ からなくなるまで、仏教思想は互い違いの複数の思想体系に発展しました。しかし微細に精密に緻密に論じて膨大な思想体系を作っても、「それで人の苦しみが ひとかけらでも無くなりますか」という疑問が生じます。結局このような思想体系の煩雑化はお釈迦さまが望んだ道ではなかったのです。

巻頭法話(83)「論より正悟」2002年 1月

私がそれを理解するために使うのが、「@」という言葉です。 満足の反対です。人生を総合的に見て、評価すると、「@」と いうことになるのです。「満 足」を体験したことがあるかというと、それはほんの瞬間でしかありません。たまには楽しくて、それにおぼれる瞬間もありますが、満足というのではないので す。ですから、日本語ではこの「@」という言葉を頭に入れて おくと、いくらかはお釈迦様のおっしゃる「苦」に近いのです。そう思いませんか。いくらおい しいご飯を食べても、完壁に満足ということにはなりません。今日は美味しくて、満足だと思う瞬間から、では明日は何を食べようかと考えはじめる。明日も もっと美味しいものを食べたいと思う。これは満足を得られないということなのです。

仏教講義、苦集滅道3(No40)

もし、相手が本当に悪くて、悪人としかいいようのない場合は、どうしましょう。理由もなく、自分に害を与える、非難する、侮辱する、攻撃する、自分に対し て怒る。また、犯罪者、殺戮者、破壊者、のような人に対しては、どうしましょうか。仏教の答えは、その場合も怒るなかれ、敵意を抱くなかれというもので す。相手は無知で、悪いことばかりをなしています。この世でも、何の幸せもなく、苦しんでいます。亡くなってからも、大変不幸になるでしょう。助けたくて も助けられない状態です。かわいそうです…と、相手に対して慈しみの気持ちを持つべきです。完全な悪人に対してでも、怒ったり攻撃したりすると、自分も余 計な罪を犯して不幸になる「愚か者」になります。悪をなすのは相 手であって、自分ではありません。それに腹を立てて攻撃すると、自分も怒りに汚染されてし まいます。相手を攻撃しよう、非難しよう、裁こうと思うと、結局、自分が攻撃され、非難され、裁かれます。相手に自分の手で汚物を投げよう、あるいは炭火 を投げようとすると、先に汚れるのは、あるいはやけどをするのは自分であって、相手ではありません。相手が身体をかわせば、汚物は当たらずに被害を受けな い場合もありますが、汚物を投げようとした自分の手は必ず汚れます。ということは、我々は他人に対して攻撃したり怒ったりして相手を困らせようとしても、 相手はそれによって困る場合も全く困らない場合もありますが、自分が怒りで汚染されて不幸になることだけは確実で確かなのです。そういうわけで、いかなる 場合でも怒る人は愚か者であり、人生の敗者です。勝利を得たい人は悪人に対しても怒りません。

巻頭法話(50) 「敗者の道」1999年4月

仏教における修行のポイントは、表面的な形ではなく、こころが清らかになるかならないかということです。 また皆に実行できるような道でなくてはならない のです。 「好きな人が守ればいいのではないか」とお釈迦さまはこの条件をお受け取りになりませんでした。 それを理由にして、Devadattaは、ま だ悟っていない苦行に惹かれる比丘たちと一緒にサンガを分裂させたのです。 サンガの分裂は五逆罪のひとつです。 罪の中で一番重い罪です。

巻頭法話(78)「なぜ生命は不幸を目指す のか」2001年8月
 
それとも上司の機嫌を損なうような態度をとったのだろうか? あなたの心は千々に乱れ、その日一日仕事が手につきません。しかし、よく考えてみれば上司が 声をかけてくれなかったのは、別にあなたが原因であったとは限らないし、上司自身のきわめて個人的な理由にすぎないのかもしれません。にも係わらず、あな たの心は勝手に自分で妄想を作りだし、悩み、苦しみの心を芽生えさせては一人もがいてしまうのです。その、心の勝手な行動から起こる苦しみから逃れるため には、ありのままの事実を観ることから始めなければなりませ ん。しかし、ヴィパッサナーの知識の乏しい人にいきなりありのままの自分を観よと言っても、そ れは分からないほうが当然です。そこで、ヴィパッサナー冥想法の初歩を教えるのです。

根本仏教講義、自分という人間の実態 (No14)

まさに、〔あるがままに〕知ることなく、依存 〔の対象〕を作る者――愚か者は、繰り返し、苦しみへと近づき行きます。それゆえに、まさに、〔あるがまま に〕知る者として、苦しみの発生の起源を観る者として、依存〔の対象〕を作らないように」と。

スッタニパータ 1051


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