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意味
「私」を分析して次に見つけたのはサンカーラ(行)という心のはたらきです。ちょっと自分を観察すると、心の中に「何かをしたい」という気持ちが常にある ことがわかります。それがサンカーラです。「パンが食べたい」と食べながら「紅茶を飲みたい」と考えています。何かをすると同時に「それで次はこれ、それ で次はこれ」ときりがなく、完全に落ち着いている状態は全くありません。人は一億分の一秒でも何も思わずに頭を空っぽにすることはできないのです。そして 単純なことをどんどん複雑にします。たとえば食べることにしても、フランス料理、中国料理、会席料理、食べ方、作り方、等々すごい数の本があり、料理学校 まであります。音楽をやる、建物を造る、ケンカをする、戦争をする。そしてありとあらゆる感情をつくり出して苦しみます。すべてただ「何かしなくちや」と しているだけなのに、そこに過剰な意味づけをして
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します。
パーリ語仏教用語集 PAN~CAKKHANDHA(パンチャッカンダ):五蘊
次から次へと変わる目的を達成しようとする努力も、我々が思うほど意味を持っていません。 目的はその時空関係の中でのみ、意味を持ちます。時間を変えれば、場を変えれば、目的も無意味になります。 時間空間関係は常に変わっていくので、目的というものはかなってもかなわなくても人生にはさほど影響はないのです。が、失望すると人は大きな苦しみを感じ ます。なんとでもして、希望をかなえようとします。しかし、努力が実って目的がかなったとしても、時空関係を変えれば無意味になってしまいます。
巻頭法話(56) 目的に向って一心にチャレンジ? 1999年10月
A
がある限り、『のんびりする』ことはかな わぬ夢に終わります。
A
がある限り、生きることはあわただし くなるのです。にもかかわらず、納得いく結果も 得られないのです。何とかしようとするので、さらに追われて、あわただしく生きる羽目になるのです。このゲームは、死ぬまで続くのです。この状態をまた、 総合して考えてみましょう。いかなる人でも、生まれて年老いて、病に冒されて死ぬのです。その間は、苦しみを避けて楽を得るために必死でがんばります。し かし成功したためしはありません。たとえ成功したと思っても、病老死に打ちのめされて終わるのです。言い換えれば、人は、生きる目的があって努力して確実 に進むものではなく、死ぬまで、ただ、生きているだけです。目的が存在しない人生は、
B
ものです。探しても、生きる目的、生きる意 味は見つからないと思います。なぜならば、生きることには、何の目的も、何の意味も、もともと存在しないのですから。
巻頭法話(97) 人生には暇はない 2003年3月
〔世尊は答え た〕「諸々の欲〔の思い〕を縁として、世における諸々の愛しきもの(自己中心的な愛着や愛執の対象)は〔生起しました〕。あるいはまた、世を渡り歩く諸々 の貪欲も、〔欲の思いを縁として生起しました〕。未来〔という概念〕のために人に有るもの、〔すなわち〕諸々の願望と目標とは、これ(欲の思い)を縁とし て〔生起しました〕」〔と〕。
スッタニパー タ 865
@執着A無知Bむなしい(dukkha)