怒り
たとえば椅子に座ったとき、「これはちょっと小さすぎるのではないか」と思ってしまったら、そこには怒りが働いている可能性があるのです。大きい椅子を 持ってきたら「今度は大きすぎでしょう」と言う。あるいはクッションのついた椅子を持ってくれば「こんな椅子で話しはできない、くつろごうとしているので はないのだから」と言い、クッションのついていない椅子を持ってきたら「こんな固い椅子で長い時間座って話すことはできませんよ」と言う。ご飯を炊けば 「今日はご飯がかたい」、料理をすれば「塩を入れすぎではないか」…どんな場面でもなんだかんだとミスばかり見つけてしまうのです。
仏教講義(No30)、4 怒りを捨て安らぎを
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であって当たり前だと思って真剣かつ真面目に修行に励む 人々は、事実上は怒りの感情に限りなく刺激を与える羽目になります。 そのような方々は、
①
を好んで経験しながら、こころに普通の人と違った刺激をインプットし ているのです。
巻頭法話(78)「なぜ生命は不幸を目指す のか」2001年8月
怒りも同じで、怒りだらけで生きていた人が死ぬと、そのエネルギーがそのまま発揮できるような、
②
だけがいるような世界に生まれ変 わるのです。業の話が因縁の話とわずかに違うところは、心は似たところに引き寄せられるということでしょう。周波数を探すかのように心は、似た心に引かれ ます。
仏教講義、業と因縁4(No37)
人間はどんな物ごとに対してもいろいろな感情を抱くものですが、
③
は その感情に流されないよう戒め、生命のすべてを見極める心のことです。 人間は、 しょっちゅう怒っていたり、悪いことばかりしていたりする人が多いのですが、そういう人たちに翻弄され自分もいっしょになってともに怒ったり、苦しんでい たんではたまりません。 世の中には様々な人がいることは事実ですが、それらを放っておくことも大切なのです。
仏教講義、慈悲喜捨の冥想(No5)
ケンカをして苦しんで、共感を求めて相談に来る人がいますが、僕だったらこう言うんですね。「あなたは相手に勝ちたいでしょ。だったら相手に対する怒り は捨てなさい」と。すると、「そんなことはできません。だって、あいつはああいうこともした、こういう悪いこともした」と怒るのです。そこで「あなたは結 局、その人の操り人形になるのです。その人の意のままに怒らされたり悩まされたりしているのですから、あなたはもう、とっくに負けているのですよ」と。そ して「向こうが何を言おうが、何をしようが、あっけらかんとして、きれいな心でニコニコしていれば、あなたの勝ちですよ。ですから怒りを捨てなさい」と言 うのです。それが仏教的な言い方なんですね。
疑問・質問に答えて 53
まさに、迷走する車を〔調御し て、平衡を〕保持するように、生起した怒りを〔調御して、平静を保持する〕者――わたしは、彼を「御者」と説く。他の人は、手綱を掴む〔が、それだけのこ と〕。
ダンマパダ 222
①苦行、苦 しいこと②戦う相手③捨