[PR]¡“ú‚ÌÆ­°½‚Í
¢Infoseek ÓÊÞ²Ù£



話を戻しますが、神 様のような存在を作りそれに向かってお 祈りしたがる人はカルマ論を否定している人です。カルマというのは、我々は自 分の行動によって幸福にもな り不幸にもなる、心の持ち方次第で人生は決まるという考え方です。そうではなく神様のおか げで人間の運命が決められるの だとした ら、その神様と いう人はひどい人なのではありませんか。地球を見てもお腹いっぱいご飯を食べられる人より食べられない人の方が多いし、最新の医学の恩恵を 受けられる人よりちょっとした痛気で死んでしまう人の数の方が多いわけですから、それなら人間を造った神様ほ ど悪い人はないのではありません か。

仏教講義、祈りより感謝(No17)

誰かにぶつかって転んだとします。「痛い」と思った瞬間にもチェータナーがはたらいて痛みを感じているのですが、それはカルマにはなりません。そこにが入ったとたんにカルマになります。同じことでも、悪いカルマになる 場合もあるし、善いカルマになる場合もあります。ぶつかった人に腹を立て て怒ったら、悪いカルマになります。「ケガをしたではないか、弁償しろ」と怒鳴ったりすると、かなりの欲や怒りで、悪いカルマとなります。逆に相手のこと を気遣って心配したならば、善いカル マになるのです。

パーリ語仏教用 語集『AÑÑASAMÂNA-CETASIKA(アンニャサマーナ・チェータシカ)
:同他心所 AÑÑASAMÂNA-CETASKA:共一切心心所』

ここで付け加えると、「周りの影響」ということも、業論ではとても重要なテーマです。普通、私たちはどうしても周りの影響を受けるからです。人は自然と 似たもの同士でつきあいます。怒りっぽい人は怒りっぽい人同士、悪い考え方を持っている 人は悪い考え方を持っている人同士、音楽の才能がある人は音楽の才能がある人同士など、性格別、能力別にグループをつくります。似たもの同士は同じで 回転するので、の 方向は変わりません。を 好転させたければ、自分の欠点を良く理解して、苦労してでも自分の短所と逆の性格を持つ人々とつきあった方 がいいと思います。そのためには的確な判断力やかなりの忍耐力が必要で、実際にはなかなか難しいのです。だから本格的に自己変革してを好転できる人の数 は少ないのです。

パーリ語仏教用語集『KAMMA: 業』

仏教の業論は、「そういう生き方はとても危険ですよ、智恵をはたらかせて生きてみなさい、智恵こそ救いであって、智恵が なければすべて終わりですよ」と教えているのです。智恵を育てる道がヴィパッサナー冥想です。何かを認識して判断する前に、淡々とサティ(気づき)をする と、不善業はつくりません。同時に鋭い判断能力と智恵が出てきます。自分の心に起こっていく出来事をそのまま客観的に観ていく――それに勝る方法はありま せん。ですから、ヴィパッサナー冥想こそ、最高の善行為なのです。(業の連載終了)

パーリ語仏教用語集『KAMMA: 業』

アングリマーラにあった唯一の逃げ道は、修行し解脱することでした。とはいえ修行をもってしても、たとえ悟ったとしても、業は消えません。業 の報いを受けるべき者が解脱して、輪廻転生を脱出するのです。たとえば殺 人罪の裁判で、判決が出る前に被告人が死んでしまったらどうなるでしょう。犯罪行為に罰を与 えたいのですが、相手がいません。

疑問・質問 22-23

世 〔界〕は、行為(業)によって転じ行き、人々は、行為(業)によって転じ行きます。行為(業)に結縛された有情たちは、進み行く車の楔[くさび](車軸に 車輪を固定する部品)のようなものです。

スッ タニパータ 654

①欲や怒りの感情②運命、運