| @⇒心の力を弱くするはたらき | 心の活発なエネルギーがなくなって、やる気がしぼんでしまうことです。何かをするためには元気なエネルギー
が必要です。昏沈が出ると「明日でもいいか」と仕事を後回しにしたりします。 修行をしていてもこの昏沈が出てくると、無知が生まれてきてぼんやりとし、やる気がなくなってしまいます。本来、ヴィパッサナー冥想をしていてエネル ギーが減るはずはないのです。正しく不貪不瞋不痴で冥想実践をしているならば、どんどん元気になってやる気が出てこないとおかしいのです。だから疲れてや る気がなくなったり眠くなったりするということは、貪瞋痴で冥想実践をしてしまっているということになります。 これは修行以外でも同じことです。怒りや欲で仕事をすると、どんどん疲れてエネルギーがなくなってきます。「ああイヤだな」と思ったとたんに、昏沈が出 て、ストレスがたまってきます。だからといって「不貪不瞋不痴でがんばるんだ」と無理矢理に自分に言い聞かせても意味がありません。そういう大げさなこと ではなく、まず自分の心に気づくことです。たとえばお年寄りの介護をしていて疲れたとします。そのときに「私は疲れてイヤになってやめたくなっている…と いうことは、怒りや無知の心があったのかな」と自分の心を観ます。仕事をしていて元気になって気持ちよくやる気が出たら、「不貪不瞋不痴でがんばれた」と 気づくようにします。そうしていくと自然にいい方向に進めるようになります。 |
| A⇒心の機能を鈍くするはたらき | 心の機能が鈍くなっていくと眠くなります。だからミッダ(睡眠)がはた
らいてくると眠くなってきて、最終的には寝てしまいます。瞑想の時は、このミッダ
のはたらきだけは出ないように気をつけなければいけません。なぜかというと、心のはたらきをすべて鈍くしてしまうので、サティのはたらきも鈍くなって冥想
実践ができなくなってしまうのです。ですから気をつけて、ちょっとでもこの睡眠の心所がはたらいていることに気づいたら、それがまだ弱いところで切るよう
にします。 昏沈と睡眠はよくいっしょに出てくるので、昏沈睡眠というように、二つあわせて呼ばれています。両方とも行動的でなくなって、やる気がなくなっていく暗 いエネルギーです。 |
| B⇒心の進歩を止める疑い。因果関係が理解できないはたらき | 疑いには、「これは事実だろうか」と自分で納得いくように確かめようとする善い疑いと、因
果関係を理解しようとしない不善の疑いがあります。善い疑いは
心を育て、不善の疑いは心の進歩を止めてしまいます。ヴィチキッチャー(疑)は後者の不善の疑いで、対象をわかっていないし、信頼もしないことです。きち
んと見ようとしないのでしっかりできず、自分の立場がはっきりとしません。疑のある人は精神的に不安定になってしまって、智慧が育ちません。 頭から話も聞きたくないし信じたくもない、というのはヴィチキッチャーの態度です。しっかりした情報も理屈もなく、ただ「私は信じない」という態度。そ ういう人は心に鍵をかけてしまっている状態で、真理を理解するどころか、捜すことさえできません。 疑いといっても、自分できちんと疑問をもってちゃんと調べたり原因をさがしたりすることは、仏教ではとても大事なことだとされています。とことん調べて から、きちんと「これは信じない」「これはわからない」という結論を出すことは、正しい態度であって、心を育てる善い行いです。 |