| @⇒怒り。六処(眼耳鼻舌身意)によって得られた情報を拒否するはたら き | 自分が得た情報を認識したくない時、例えば見たくないものを見たり聞き
たくないことを聞いた時などに生じるのが、怒りの心所(瞋)です。感覚器官に情報
が入ることは止められません。目を開けると何かが見えるし、音は自動的に耳に入ります。人はかなりきめ細かく情報を取捨選択しています。ですからドーサに
は、怒りになる以前のかすかな「イヤだ」という心も含まれま
す。 怒りは自分のわがままから生じます。自分が気に入るか気に入らないか、という自己中心性がなければ怒りは生まれません。自分が気に入っている対象には ローバ(欲)が生じ、気に入らない対象にはドーサ(怒り)が生じます。一見、ローバ(欲)は明るくてドーサ(怒り)は暗いようですが、本当はどちらも暗い 心です。明るいのは善心所だけで、不善心所はすべて暗い心なのです。 怒ると気分が悪くなるから心が怒りを好まないかというと、決してそういうことはありません。心は刺激を求めています。欲も怒りも、結局は刺激なのです。 |
| A⇒ねたみ。嫉妬。 | 自分にないものが他人にあるという状態に対する怒り 自分より上の人を見てねたむ心で怒るのが嫉妬です。嫉妬をする人はすごく苦しむ上に、成長が止まって、堕落してしまいます。 優れた人を見て「優れた人だ」と思うことはイッサー(嫉妬)ではありません。その人に対して怒りの心が生じるのが嫉妬です。もし嫉妬の心が生まれたら、 「これは嫉妬だ」と明確に知っておくことが大切です。嫉妬は自分にないものに対して生じる怒りです。 |
| B⇒物惜しみ。自分のものを分け与えるのはイヤだという怒り | 嫉妬と反対に、自分にあるものによって生じる怒りの心所がマッチャリヤ
です。 全く社会的な貢献をしようとしない。自分の知識を人に教えようとしない。熱心に修行をしている人が、他の人も修行をしようとしたらおもしろくない。それ らはすべてマッチャリヤです。 嫉妬(イッサー)と慳(マッチャリヤ)は、外から見るとどちらなのかわからないときもあります。たとえば、誰かが「あの人はすばらしい人ですね」とほめ るのを聞いて、おもしろくない暗い心が生じたとします。他人の優れたところを ねたんでいれば嫉妬で、自分の優れたところにケチをつけられ たように感じてい るならば慳です。自分の心を細やかに見て、これは嫉妬だ、これは慳だ、と確認します。人は自分の悪いところを隠そう隠そうとします。修行をする人は、正直 に自分を明確に見ていくことが大切です。 |
| C⇒後悔。自分が悪いことをした、恥ずかしいことをした、と自分に対し て怒ること | 仏教では、後悔をすることはとてもよくないことだとされています。後悔
をすると心が暗くなって、心が冴えていかないからです。元気でがんばっている人で
も、後悔がちょっと入ったら、すぐに心がしぼんでしまいます。後悔は大変危険で強いマイナスのエネルギーなのです。 自分がしてしまった悪行為を思 い出すことは、悪行為を重ねることと同じことです。「あのときは悪いことをした」と思い出すと、その度に罪がどんどん重く大 きくなるのです。思い出す度に印象を心に強くして、新しい印象を何回も作ってしまいます。 後悔をする癖のある人は、歩いていても、料理をしていても、しょっちゅう後悔をしています。失敗してもそれを認めて前向きにがんばる人、自分の失敗を堂 々と明るく言える人は、後悔はしません。失敗から何かを習っていい勉強になった、という感じで、明るく生きるのがいいのです。「どうしてあんなことをして しまったのか」と悩むことは後悔であって、へたな行為(アクサラ)であり、成長して進んでいけなくなる生き方です。 |