| @⇒無知。愚かさ。ものごとの真の側面に気づくことができないこと。 | 人は、たとえばバラの花を見て「きれいなバラだ」と価値判断をし、それによって行動を起こします。それはごく一般的な行為
ですが、真理の立場で物事を観ているとは言えません。正しくない認識による行動は、
当然問題をつくり出します。 仏教では、ある一定の条件の中で一時的に「バラの花」という現象があるにすぎない、これは瞬間瞬間変化し続ける不安定な空しいものだ、という因果関係、 無常の立場、現象論でものごとを観ます。そのように真理の立場からものごとを観られるのは悟りを開いた人だけなので、世の中の人々は皆無知な愚かさの中で 生きているということになります。無知で生きている私たちは、ものごとをはっきりと正しくとらえることはできません。いつでも大雑把に認識して、混乱状態 の中で価値判断をしています。そしてすぐに執着したり嫌ったりし て苦しみをつくり出します。ですからこのモーハ(無知)こそは、すべての悩み苦しみの土台 になる心所なのです。 |
| A⇒(*内に対して)恥を知らない心。 | 悪いことをするときに「これは人間として恥ずかしいことだ」という心が無いところから生じるエネルギー。「まあ
このくらいのことはやってもいいんじゃないか」とパッとやってしまう。 混乱状態で恥を知る心がないことに気がつかないこともよくあります。でも悪いことをしてしまったときに心を観ると、必ずこのアヒリカという心所があった ことに気づきます。 |
| B⇒(*外に対して)怖れを知らない心。 | 怖がらずに悪いことをしてしまうことです。この無愧と無漸は自己コント ロールができないはたらきです。人は、自制心を失ったら恐ろしい存在になってしま います。行儀の悪い行いは恥ずかしい、罪を犯したら怖い、という心がなければ、私たちはすぐに悪いことをしてしまうので す。 |
| C⇒落ち着きのない心。混乱状態。 | 人が悪いことをするときは、正しく物事を把握できずに混乱しています。 焦ったり、緊張したりするのもこのウッダッチャのはたらきです。落ち着きが ないと、どのようなこともうまくいきません。上手な人でもへたな人になります。だからこのウッダッチャという心所が入れば、することはすべ て不善(アクサラ) であって、善行為(クサラ)ではありません。 |